精霊流しと補陀落(ふだらく)渡海記

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     長崎でもグレープでもさだまさしでもありません。8月17日の朝通勤途中。倉岳町宮田の堤防の階段に、きれいに飾られた精霊舟が陸揚げされていました(場所はここら辺)。

     

     

     私が暮らす天草市倉岳町では8月16日午後に精霊流しをします。初盆(新盆)を迎えたお宅はこのように特別に舟を仕立ててきれいに飾りつけ、故人の魂を乗せて西方浄土の極楽に見送ります。海に出ると魂は西方浄土へ向かい、舟は誰のものでもなくなり、誰が持ち帰ってもよいのですがたいていは親戚の人が持ち帰ります。昔はわざわざ船大工に作ってもらっていましたので、出来がよくて欲しがる人も多く、精霊舟を取りに船を出す人もいたくらいです。舟好きの私も例外ではなく、おばあちゃんが知り合いからもらってくれた精霊舟をずいぶん長く持っていました。この舟は誰かがもらって陸揚げしているので、きっと明日にはなくなっていると思います。

     そこから沖の方に目をやると、海に浮かぶ精霊舟が見えました。

     

     

     一晩たってもこのようにきれいに浮かんでいます。きっと船大工さんが仕立てた初盆の舟なんでしょうね。飾りもきれいで、仏さんはもう極楽浄土でお休みなのでしょう。

     

     

     よく見ると他にも精霊舟が浮かんでいます。どの舟も定置網のロープに引っ掛かっているようです。それにしても一晩ちゃんと浮いていたんですね。

     

     

     同じようなモールで飾られたピンクの精霊舟もいました。やはり定置網に引っ掛かったようです。

     

     

     私が子供の頃、たいていの精霊舟の名前は『西方丸』でした。8月16日の午後になると、素麺やおだんご、西瓜や葡萄を乗せた手作りの小さな舟に線香を灯し、おばあちゃんの読経を背に浜辺へ行ったものです。

     西方浄土に向かう精霊舟を見ていると、井上靖の短編『補陀落渡海記』(ふだらくとかいき)を思い出します。金光坊(こんこうぼう)という補陀洛寺の住職が、61歳の年の10月に補陀落浄土を目指して渡海する慣例に従って渡海した(させられた)お話です。数年前の10月、この小説の舞台となった和歌山県那智勝浦町の補陀洛山寺に行ってみました。内海しか知らない者にとって、勝浦の海は怖い海でした。水平線と空との境がぼやけて丸く見えるし、海の色は黒に近く、風がなくても波が高い。ここから渡海して黒潮に乗ってしまったら二度と岸には戻れそうにない。しかし延々と続く海原の果てには、ひょっとして補陀落浄土があるかもしれない。そんな感じの海に面したお寺でした。

     金光坊を乗せた舟はひっくり返り、坊は生きて近くの小島に流れ着きますが、やがて再び檀家の信徒によって代わりの舟に押せられ、再び補陀落目指して海原に押し出されてしまいます。その後補陀落浄土に辿り着いたかどうかはわかりません。金光坊の心の葛藤の描写が生々しくかつ客観的になされていて、井上文学の中でも好きな作品の一つです。新潮文庫の『楼蘭』という短編集に収録されていますので、ご一読ください。面白いですよ!

     勝浦の海に比べれば不知火海は優しい。時には牙を剝くむくこともありますが、島に囲まれているのでいつも穏やかです。潮に流されたとしても必ずどこかの島に辿り着けるように思えます。無茶さえしなければこんな安全な海はありません。 8月18日


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    管理人のたかぴーです。2017年、定年を待たず少〜しだけ早く退職して天草に移住しました。東京での生活が正常だと思っていたのが間違いだった。とりわけコロナで過密都市の恐ろしさを実感している所です。ここ天草はWithoutコロナ生活を送れるパラダイス。是非お越し下さい。

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