五足の靴を二足で巡る

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     疫病に罹らないようにと室内に居るばかりでは体に良くない。 換気がよく・人が密集せず・近距離で会話や発声しない 所を歩いて健康増進に努めようと二人で出かけた。

     本渡方面から国道266号を牛深方面に走り、県道24号線(本渡下田線)に入って約20分。天草西海岸の下田温泉に『五足の靴 文学遊歩道』がある。国道開通前の旧道を遊歩道として保存したものだ。『五足の靴』は新詩社同人の北原白秋はじめ若い詩人4人と与謝野寛の5人が綴った紀行文(岩波文庫「緑177-1」)にちなんでいる(関連記事はこちら)。実際に彼らが歩いた道とのことだ。

     入口に絵が描かれている「下田トンネル」を抜けて国道389号に突き当たって左折してすぐ。遊歩道入口の看板がある。上ると駐車場(場所はこちら)。

      

     

     ここ下田北は昔「下津深江」と呼ばれていたそうだ。『五足の靴』の一行は富岡から海路下津深江入りし、大江まで歩いた。その足跡をたどる道だ。 

      

     

     ここからスタート。

     

     

     分かりやすい標識があるし、100mごとに道標がある。

      

     北原白秋ら5人はここから高浜に至るまで険しい道を歩いたという。途中暗くなって迷ったらしい。明治40年に標識があったら迷わずに済んだろうにね。

     気持ちの良い遊歩道だ。途中展望所がある。

      

     天草灘を一望できる。

     

     

     ホテルの名前も『五足のくつ』。その前を通る。ひょっとして敷地内?

     

     

     その先に展望台の標識。

     

      期待して行ってみたが眺望開けず。残念。

     
     

     つづら折れの歩道。木の間から海が見える。曲がりきると眼下に海が広がる。

      

     

     アスファルト道路に出た。 道の反対側に標識がある。ここからさらに下る。

      

     

     途中スミレが咲いていた。その近くに標識があるが文字は読めない。

      

     

     海まで下るとゲストハウス風来望のBBQ場(場所はこちら)。遊歩道はここからまた山に入るが、これから先はほとんど眺望が開けない。唯一の展望所は木々に覆われ、テーブルと椅子は朽ちていた。海岸まで下りたら国道に戻って鬼海ヶ浦トンネル(場所はこちら)をくぐって国道沿いに駐車場に戻るのが賢明だと思う。 2020年4月10日


    精霊流しと補陀落(ふだらく)渡海記

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       長崎でもグレープでもさだまさしでもありません。8月17日の朝通勤途中。倉岳町宮田の堤防の階段に、きれいに飾られた精霊舟が陸揚げされていました(場所はここら辺)。

       

       

       私が暮らす天草市倉岳町では8月16日午後に精霊流しをします。初盆(新盆)を迎えたお宅はこのように特別に舟を仕立ててきれいに飾りつけ、故人の魂を乗せて西方浄土の極楽に見送ります。海に出ると魂は西方浄土へ向かい、舟は誰のものでもなくなり、誰が持ち帰ってもよいのですがたいていは親戚の人が持ち帰ります。昔はわざわざ船大工に作ってもらっていましたので、出来がよくて欲しがる人も多く、精霊舟を取りに船を出す人もいたくらいです。舟好きの私も例外ではなく、おばあちゃんが知り合いからもらってくれた精霊舟をずいぶん長く持っていました。この舟は誰かがもらって陸揚げしているので、きっと明日にはなくなっていると思います。

       そこから沖の方に目をやると、海に浮かぶ精霊舟が見えました。

       

       

       一晩たってもこのようにきれいに浮かんでいます。きっと船大工さんが仕立てた初盆の舟なんでしょうね。飾りもきれいで、仏さんはもう極楽浄土でお休みなのでしょう。

       

       

       よく見ると他にも精霊舟が浮かんでいます。どの舟も定置網のロープに引っ掛かっているようです。それにしても一晩ちゃんと浮いていたんですね。

       

       

       同じようなモールで飾られたピンクの精霊舟もいました。やはり定置網に引っ掛かったようです。

       

       

       私が子供の頃、たいていの精霊舟の名前は『西方丸』でした。8月16日の午後になると、素麺やおだんご、西瓜や葡萄を乗せた手作りの小さな舟に線香を灯し、おばあちゃんの読経を背に浜辺へ行ったものです。

       西方浄土に向かう精霊舟を見ていると、井上靖の短編『補陀落渡海記』(ふだらくとかいき)を思い出します。金光坊(こんこうぼう)という補陀洛寺の住職が、61歳の年の10月に補陀落浄土を目指して渡海する慣例に従って渡海した(させられた)お話です。数年前の10月、この小説の舞台となった和歌山県那智勝浦町の補陀洛山寺に行ってみました。内海しか知らない者にとって、勝浦の海は怖い海でした。水平線と空との境がぼやけて丸く見えるし、海の色は黒に近く、風がなくても波が高い。ここから渡海して黒潮に乗ってしまったら二度と岸には戻れそうにない。しかし延々と続く海原の果てには、ひょっとして補陀落浄土があるかもしれない。そんな感じの海に面したお寺でした。

       金光坊を乗せた舟はひっくり返り、坊は生きて近くの小島に流れ着きますが、やがて再び檀家の信徒によって代わりの舟に押せられ、再び補陀落目指して海原に押し出されてしまいます。その後補陀落浄土に辿り着いたかどうかはわかりません。金光坊の心の葛藤の描写が生々しくかつ客観的になされていて、井上文学の中でも好きな作品の一つです。新潮文庫の『楼蘭』という短編集に収録されていますので、ご一読ください。面白いですよ!

       勝浦の海に比べれば不知火海は優しい。時には牙を剝くむくこともありますが、島に囲まれているのでいつも穏やかです。潮に流されたとしても必ずどこかの島に辿り着けるように思えます。無茶さえしなければこんな安全な海はありません。 8月18日


      秋の日に思う 八木重吉没後90年

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        2週連続台風の週末。皆さんお疲れ様でした・・・

        一転しておだやかな3連休。天草市では陶磁器祭をやってます。

         

        【飛ぶ島】

          台風が去ってこの秋一番の冷え込みとなった月曜日、蜃気楼(浮島現象)もこの秋一番となりま

         した。中でも、親子のような島の子供の方の島が”浮く”というより”飛んで”いました。ところで、

         右の親島は、左向きのくじらに見えませんか?私は勝手に「おっとっ島」と呼んでいます。

          特にこの日は浮島現象で尾びれが見えます。森永製菓が喜ばないかな・・・

         

         

        【猫の親子】

          台風が来ても我が家にやってくる猫たちはいたって元気で、常連猫三毛は子猫を連れて遊びに

         来るようになりました。親子で遊びに来た三毛の様子を、妻が撮影してくれました。まるでスタジ

         オで親子の記念写真を撮ったようなよそゆきの顔をしています。表情に、何となく昭和の写真館の

         ようなレトロ感があって、なつかしい感じがします。

          

         

        【国語の教科書】

          この写真を見ていて、猫も人間も母と子の絆は変わらないんだなと改めて思いました。また中学

         の国語の教科書に出ていた八木重吉の「母をおもう」という詩が浮かんできました。奇しくも今年

         の10月27日は八木重吉の90回目の命日でした。

          八木重吉の詩は、教科書に「母をおもう」と、娘の桃子のことを書いた「人形」という詩が載っ

         ていたと思います。国語の教科書は、いつも素敵な詩にめぐり合うきっかけを与えてくれました。

         

        【八木重吉、人と作品】

          八木重吉は東京都町田市生まれの敬虔なクリスチャン詩人でした。私が20年ほど隣町の日野市

         に住んでいた縁で、八木重吉の地元である町田市で昨年開かれた回顧展に行く機会がありました。

         彼の直筆の原稿などを拝見することができて、感激しました。

          八木重吉は29歳で結核により生涯を閉じました。その短い生涯に天草を訪れたことはありませ

         んが、もし当時の大江天主堂のガルニエ神父と会っていたら、きっと「神と信仰」について静か

         に深く語り合ったことでしょう。

          八木重吉は、清冽でありながら温かい心を感じさせてくれる不思議な詩人です。わずかな単語

         だけで深い抒情を紡ぎあげる八木重吉の詩は、本当にすばらしいと思います。

          せっかくですから、猫の母子が思い出させてくれた「母をおもう」と他にもう一編、秋に空を

         見上げて雲を見ると思わず口ずさんでしまう「白い雲」という詩を紹介します。

         

         母をおもう

          けしきが

          あかるくなってきた

          母をつれて

          てくてくあるきたくなった

          母はきっと

          重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう

              詩集「貧しき信徒」より 

         

         白い雲

          秋の いちぢるしさは

          空の 碧を つんざいて 横にながれた白い雲だ

          なにを かたってゐるのか 

          それはわからないが、

          りんりんと かなしい しづかな雲だ

            詩集「秋の瞳」より                            11月4日


        富岡の町を訪ねる〜林芙美子と頼山陽

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           大型の台風が小笠原近海でうろうろしていますが、その影響かどうかは分かりませんが、天草は

          夕方から風が強まって、有明海側はシケ模様でした。本渡港越しに、雲仙普賢岳上空に傘雲がかか

          っていました。

           

           

          【富岡港】

            天草下島の北西には半島のように突き出たところがあります。小さな島が海によって運ばれた

           砂によって繋がった「陸繋島」(りくけいとう)という地形です。そこに富岡港(地図はこちら

           があります。富岡港から長崎の茂木港(地図はこちら)に高速艇が出ていて、長崎天草を45分で

           結んでいます。現在社会実験として、週末にのみ長崎港から崎津まで双胴船も出ています。

            その昔、天草を訪れた文人達は長崎からこの富岡の町に船で渡ってきました。古くは江戸時代の

           頼山陽、明治の終わり頃は北原白秋ら「五足の靴」の面々。昭和に入って与謝野鉄幹晶子夫妻

           林芙美子らが長崎経由でここ富岡に上陸しています。この写真は撮影を忘れた私に代わって、同僚

           のN氏がわざわざ会社の帰りに富岡まで行って昨日撮影してくれた富岡港の写真です。感謝です!

           

           

          【富岡城】

            富岡港から見上げる小高い丘のような山の上に、富岡城があります。ここは島原・天草の乱の戦場

           となったところで、本渡の戦いで敗走した幕府方が立てこもっていました。それでも一器具の攻撃に

           落ちなかった城です。

           

          【林芙美子文学碑】

            富岡で林芙美子が宿泊した旅館にある文学碑です。アコウの木と思われる木の下にありますが、

           この日は「林芙美子文学碑」と書かれた看板が葉陰に隠れていました。

            

            

            旅に寝て

            のびのびと見る

            枕かな
           

            代表作「浮雲」「放浪記」などで知られる作家林芙美子(1903〜51年)は、前述の【富岡港】

           で紹介した航路で昭和25年に汽船で渡りました。その時の様子は「天草灘」という作品に描かれ

           ています。「屋久島は月のうち35日は雨」というフレーズは有名ですが、林芙美子の小説の中の

           1フレーズです。中学時代の修学旅行で南九州を訪ねた時、鹿児島でバスガイドさんが「花の命

           は短くて 苦しきことのみ多かりき」を繰り返し紹介していたことも思い出されます。

            林芙美子が戦前、カナダで発行された日本語新聞に「外交官と女」という短編小説を寄稿して

           いたことが最近発見され、話題になりました。「外交官と女」は、男性外交官が、中国赴任時代

           に知り合った天草出身の女性を回想するという内容だそうです。まだ刊行されていませんが、

           一度読んでみたいものです。

           

          【頼山陽詩碑】

            林芙美子文学碑からほどなく、江戸時代の文人 頼山陽の「天草洋に泊す」の詩碑があります。

           

           ちょっと電線が目障りな感じですが、「天草洋に泊す」が刻まれています。高校時代に古典で

           この漢詩が出てきましたが、当時良さはよくわかりませんでした。なんでもすばらしい名詩な

           のだそうです。この詩を吟じる詩吟大会が当地で行われたりしているようです。

           

          【砂嘴】

            さし、と読みます。静岡の三保の松原、京都の天橋立などもこの砂嘴です。天草にも富岡に

           あります。富岡城から延びる鳥の嘴(くちばし)の」ような砂の半島です。下左が砂嘴の根元、

           右はその先端です。

            

            同じ砂嘴であっても、天橋立や三保の松原の規模に比べるとまるで箱庭のような大きさです。

           でもよく見ると、潮の流れや波の作用まで感じられるような素晴らしいジオラマです。地学の

           教科書に出したいくらい典型的な砂嘴です。規模が大き過ぎると海の息吹が感じられません。

           その点、ここ富岡の砂嘴は生きた海の息吹が感じられます。次の世代に残したい風景です。

            先に紹介したN氏は地元出身なのですが、このように素晴らしい風景なのに、子供の頃から

           毎日当たり前の風景として見ていたので、その価値に気が付かなかったと言います。仕方ない

           ですよね。でも今回、きっとその価値に気が付いてくれたことと思います。    9月2日


          天草と詩人

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             久しぶりにカヤックフィッシングと猫の話題から離れ、天草と文学について振り返ってみました。

             天草は、古くは江戸時代に頼山陽の『天草洋に泊す』という漢詩に詠まれ、明治以降は北原白秋

             ら多くの文人の詩歌に詠まれています。

             

            【街道をゆく】

              司馬遼太郎氏はその著書『街道をゆく』において次のように語っています。天草は、旅人を

             詩人にするらしい。まして詩人が旅人であれば、若い日の北原白秋たちがそうであったように、

             鳴き沙のなかにはるか西方の浪の音まで聴きわけ、歴史という虚空のなかにまで吟遊して歩く人

             になるのかもしれない」街道をゆく 17 島原・天草の諸道 朝日文庫)

             

            【新詩社と五足の靴】

              与謝野鉄幹が主宰した新詩社は、東京渋谷の道玄坂にありました。京王井の頭線の渋谷駅近く

             です。与謝野鉄幹は北原白秋ら4人(吉井勇、平野万里、木下杢太郎)と共に、明治40年に天草

             を訪ねました。その紀行文が『五足の靴』です。この旅から着想を得たのが北原白秋の『邪宗門』

             であり木下杢太郎の『南蛮寺門前』です。今は潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産の登録に向かっ

             ていますが、本紀行文が南蛮文化や禁教が解けたキリシタンを世に知らしめるきっかけになった

             と言われています。

              与謝野鉄幹は、その後昭和7年にも晶子夫人を伴って再び天草を訪れています。

             

             天草市天草町 十三仏公園にある

             与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑。

             柵の向こうは断崖絶壁。真下には

             天草灘の澄んだ波が打ち寄せます

                   鉄幹 

             天草の十三仏のやまに見る

               海の入り日とむらさきの波

                   晶子

             天草の西高浜のしろき磯

               江蘇省より秋風ぞふく

             

             見たままを実に素直に詠んでいます
             

            【大江天主堂】

              五足の靴の旅の目的に、天草市天草町にある大江天主堂の清貧の偉人、ガルニエ神父との対面

             がありました。ガルニエ神父はフランスから当地に渡り、私財を投じて神の御心を実践されまし

             た。その人となりについては先に触れた『街道をゆく』に譲りますが、明治の終わりという時代

             に、しかも東京にいた白秋たちがどのようにしてガルニエ神父のことを知ったのか、その点につ

             いて知りたいと思っています。ご存知の方、この記事にコメントをお願いします!

             

             大江天主堂は1933年(昭和8

             年)ガルニエ神父と信者達に

             よって建てられました。

             

             天草にキリスト教を伝えたのは

             イエズス会の修道士アルメイダ

             で、彼は布教と社会福祉に努め

             ました。アルメイダ修道士もガ

             ルニエ神父も、ともに故郷の土

             を踏むことなくこの地天草で天

             に召されました。

             
             

            【吉井勇】

              五足の靴の旅人に、歌人の吉井勇がいました。吉井勇はこの後いく度か天草を訪れています。

             大江天主堂近くには、この時の旅を振り返る彼の歌碑が建てられていました。

             ←昭和27年に建てられた吉井勇の歌碑。

               白秋とともに泊まりし天草の

                 大江の宿は伴天連の宿

              ↓1952年に夫人と天草再訪時の歌。

                ともにゆきし友みなあらず我一人

                   老いてまた踏む天草の島

              

             

              吉井勇はその代表作『酒ほがひ』で次のような歌も詠んでいます。

               君に似し天草島のたをやめが

                髪おもしろし総角あげまきにして

             

            【北原白秋】
              北原白秋と天草の出会いは双方にとって幸運でした。白秋は『天草雅歌』を収めた『邪宗門』に

             よりその名声を高め、天草はその作品を通じて耽美的な南蛮趣味の流行の発信地となりました。

              今の天草に彼ら五足の靴の旅人が訪ねた頃の雰囲気がどのくらい残っているかわかりませんが、

             この島々は華やかな南蛮文化伝来の時代、陰惨なキリシタン弾圧の時代を経てきました。その歴史

             を垣間見ることができるのが「天草キリシタン館」です。ここに北原白秋の句碑があります。

               

             

            【旅の終わり】

              5月連休に長男の嫁のご両親が孫の初節句のお祝いに駆けつけてくれました。天草は3つの海に

             囲まれています。倉岳は八代海に面しているので、天草灘(東シナ海)をご案内しました。そし

             て帰り。連休中の渋滞でも時間が読めるということで、本渡港から船で有明海を三角港に向けて

             帰って行かれました。天草エアラインで飛ぶもよし、バスで走るもよしですが、私は船をお勧め

             します。港を出るまで船はゆっくりと進みます。見送る側と見送られる側のお互いの顔がだんだ

             ん小さくなっていきます。やがて港を出ると船は速度を上げ、白波を上げて走ります。大きな波

             の向こうに港が小さく見えなくなっていきます。旅の終わりのセンチメンタリズムがピークに達

             する瞬間です。

             2020年3月現在

              本渡=前島間は運休中です

             天気が良ければオープンデッキ

             席の左舷側に乗ってください。

             雲仙と島原を見ながらの有明海

             クルージングが楽しめます。

             天草五橋を下から見上げること

             もできます。

              景色を見ながら、天草で見た

             景色、出会った人々の笑顔が思

             い浮かぶことでしょう。

              また天草で会いましょう!
             

             

             


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            プロフィール

            管理人のたかぴーです。2017年、定年を待たず少〜しだけ早く退職して天草に移住しました。東京での生活が正常だと思っていたのが間違いだった。とりわけコロナで過密都市の恐ろしさを実感している所です。ここ天草はWithoutコロナ生活を送れるパラダイス。是非お越し下さい。

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